歩く先が道となる

福島第一原発
悪夢のような事故から7ヶ月が過ぎ、放射能汚染も関東含め広範囲に及んでいる。 一番の被害者は地元の方々。故郷にいつ戻れるのか、二度と戻れないんじゃないかと絶望にかられながら避難をされてる。震災が起こる前まで・・と言うより原発事故が起こる前までは何も気にせずバンバン電気を使っていた。そこに何も疑問を抱かなかった。それが当たり前になっていたから。
原子力発電と言うカテゴリは知っていたが、日本にこんなに原発があると言う事実や、原子力発電で日本の電力の相当量がまかなわれていた事実は考えた事もなかった。チェルノブイリ対岸の火事。あの事故を超えるような事故が起こるなんて想像もしなかった。しかもこの日本で。
資源のない日本と言う国で、原子力発電そしてプルサーマルのシステムはまさに夢のようなお話だったのだろうがそれは完全に崩壊した。いざという時に制御不能な“原子力”という魔王は人間の知恵を嘲笑うのだ。果たしてそんな魔物に頼らなくては生活が成り立たないのか?いや、それは違う。人類のためと言わんばかりに原子力政策を展開しているが、所詮は個人利益のためだ。原子力と言うツールで私利私欲を満たし美味しい思いをする一部の人間のために皆が犠牲になるだけ。ひとえにこの現状はその結果に過ぎない。
何事も過去の実績を全てぶっ壊す事で初めて前に進める。そこに進化があるのだ。過去の栄光にしがみつく事は終わりを意味する。そんな事は誰もがわかっている単純な事だ。利便性と危険性を表裏一体にしないと成り立たないって言う時代は時代遅れだと言う時代に入ったのではないか?悔しいがこの放射能汚染の中で生きていかないといけない。内部被曝云々の健康被害は否めないが生き物は皆平等にいずれお迎えがくる。出来ることなら病気ではなく眠るかのごとく天命を全うしたいものだ。だから余計な要因は極力無い方が望ましいのは言うまでもない。
いつの時代も人は何かしらの大きな運命と戦わなければならないらしい。僕らは震災と放射能という運命と戦わなければならないようだ。
便利すぎる生活にどっぷり浸かってしまった現代から一歩アナログに移行してもいいのではないか?暮らすのに困らない最低限の電気があればいいのではないか?今この時だからこそ勇気を持って完全に脱原発をして新しいエネルギー展開に進むべきだと思う今日この頃でありますが皆さんはどう思いますでしょうか?