ぶらり下町散策

下町に住んでいるので大都会に遊びに出かけるかと思ったら大間違い。
大都会はどうも落ち着かない。やっぱり下町の人間は下町が落ち着くんです。
って事で先日、下町散策の定番の浅草〜上野散策をして参りやした。
まずはバスに乗って浅草へ。
浅草寺の入り口「雷門」で風神、雷神と久しぶりにゆっくり対面。いやいや相変わらず怖い顔してらっしゃる(笑) お邪魔しますと一声かけて仲見世へ。
「ザ・みやげ物屋」という雰囲気が意外と好きなんです。昔の東京タワーのみやげ物フロアも味があって好きだった。今は東京タワーもリニューアルしてちょいと小洒落た感じになっちゃっているのであくまで昔の雰囲気ね。
揚げ饅頭をつまみながら一軒一軒のんびり見て回りました。実は“和”のインスピレーションを刺激したくて浅草に向かった意味合いもあるので、浮世絵の店に惹かれたり、いかにも!な衣装関係のみやげ物に惹かれつつ本堂へ向かう。
ジャリ銭を投げ入れお参りし、横道を抜けて花やしき方面へ。
スカイツリーが何ぼのもんじゃい!と言わんばかりにそびえ立つ花やしきの「Beeタワー」

日本最古の遊園地の威厳がバシバシと伝わってきます。下町バンザ〜イ!
さて、浅草から上野は以前2階建てバスが巡回していたのですが、今は何と言ってもパンダバス(写真は2号車:メスパンダ)。

デフォルメの違う2台のパンダバスが浅草〜上野間を無料巡回しています。こりゃ子供にはたまらんね。
が、しばらくの間、東北地方太平洋沖地震で被災され避難をされている方々のためにボランティアとして避難場所と浅草/上野間を走っていましたが、この7月から巡回運転再開するそうです。
浅草ROX前から乗車し、上野精養軒前で下車。
下車してすぐ目の前にあるのがこの上野大仏。

えっ!?顔だけ?
そう、この上野大仏の歴史を羅列すると、

寛永8年(1631年): 越後村上藩主、堀直寄が戦死者慰霊のため漆喰の釈迦如来坐像を建立。

正保4年(1647年): 地震により倒壊。
万治年間(1658年 - 1661年):遊行僧浄雲が金銅像として再興。再興は明暦年間(1655年 - 1658年)説がある。
元禄11年(1698年):公弁が露座であった大仏に仏殿(覆堂)を建立。
天保12年(1841年):火災により大仏、仏殿が損傷する。
天保14年(1843年):堀直央の寄進により大仏を新鋳再建、仏殿を修復。
安政2年(1855年):安政地震により、頭部が破損。再び堀直央の寄進により修復。
明治8年(1875年):上野恩賜公園の整備にともない仏殿を撤去。露座に戻る。
大正12年(1923年):関東大震災により頭部が落下。大破した頭部、解体撤去した胴部以下は寛永寺が保管するが、資金の目処が立たず再建計画は放棄される。
昭和15年(1940年):軍需金属資源として顔面部を除く頭部、胴部以下が供出され、消滅する。
昭和42年(1967年):関東大震災の50回忌にあたり、上野観光連盟が願主となり大仏再建を願う祈願塔を建立する。
昭和47年(1972年):寛永寺に保管されていた顔面部をレリーフとして旧跡に安置する。

要するに度重なる上野の山を襲った災害でやられ、度重なる再建をしつつも、最終的には軍事金属として顔以外は戦争の武器に姿を変え、顔だけが残って祭られているのです。まさに今の震災復興に向けた『がんばれニッポン!』を象徴するような大仏様でなないでしょうか?上野の森からパワーを送って下さいと願いつつ不忍池のほとりでちょいと一杯やり、ぶらり下町散策は終えていくのでありました。