自然な覚悟

震災からちょうど2週間。被災地でも復興に向けて徐々に動きが出ているが、依然として孤立集落になっている地区もあり、身体的・精神的な疲労も心配される。
そんな最中、東京においても水道水の放射能汚染が表面に出てきた。
昨日の発表値から計算すると毎日2リットルを1年間飲み続けたとしても身体に悪影響がでる量のわずか1/20。現段階では基本的には問題ないのであるが、これはあくまで現段階での話だ。原発の問題は電源復旧が進んでいるとはいえ、電子機器の破損状況、プール、炉内の破損状況などが分からない状況。それらの問題をクリアし、継続的な冷却システムが確保されないことにはひと段落とならないのだ。無事にそこまでたどり着くだけでも相当な時間がかかる。最悪の事態にならない事を祈るしかないけれど、その間放射線による被害拡大は楽観視出来ないのが現実だろう。決して不安を煽るわけではないが、原発自体の行方に影響される形で、風向きや雨などによって土壌、飲料水の汚染は日々変動する。そのレベルはどう変動するかは未知数。いろんな意味でもしもの時のシュミレーションはしておくべきだ。
タイタニックの事故の際、バンドのメンバーは最後の最後まで演奏を続けていた・・・映画の中だけの話なのか実話はなのかはわからないが、映画でその場面を見た時に果たして自分だったらどうだろうか?と考えた事があった。
今回の震災でも役所の方かどうかわからないが、最後の最後まで「高台に避難してください!」とスピーカー放送をし続けた若い女性の方が津波に飲まれて亡くなったという話を聞いた。一刻も早く逃げなければ自分の命が危ないという緊急事態の中、自分の事はさておいて人のために尽力する・・・果たして自分だったら・・・。タイタニックを見た頃は独り者だったのできっとパニくって我先に逃げ出すだろうなと自問自答していたが、家族を持ち子供がいる今、自然と家族の無事が最優先だという発想になっている。刻一刻と変動する現状で、随時状況判断をしていかなければならない。そして出来る範囲内で最善の事を遂行していかなければならない。もしもの時はかみさんとチビ達だけでも安全な場所に避難させたい。僕は一緒にすぐに非難できる立場にないのでもろもろの事が済まない限りは合流できない。その間に最悪な事態になれば二度と会うことは出来ないかもしれないのだ。でも、家族が無事でいてくれさえすればそれでいい。自然とそう思えるのが独り者の時には考えられなかった事だ。オヤジとしての自然な覚悟なんだろう。もちろん苦渋の決断をする事無く、最悪な状況にもならない事がベストであるのは言うまでもない。一市民としてはただただ祈るのみである。